池袋暴走事故の飯塚被告に極刑を求める人々

2020-10-10

コラム

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池袋で起きた自動車暴走事故の運転手の初公判が開かれ、自動車運転過失致死傷罪に問われている被告が起訴事実を争い無罪を主張していることが物議をかもしている。

ユーチューブのコメント欄やツイッターなどで「反省していない」とか「検察の求刑である懲役4年は軽すぎる」とか「死刑にすべき」とわめく人々が目につき、思うところがあるので書く。


事件当時、容疑者の逃亡のおそれの低さなどから逮捕されなかったことなどが「上級国民だから特別扱いされている」などと言われ以前巷では騒がれていた。

しかし、彼は実際に逃亡することなく今回公判に出廷しているわけで、在宅起訴されたことは結果的に問題なかったわけだ。


今回の初公判で、事故原因について検察は、被告がアクセルとブレーキを踏み間違えたことが原因だとし、一方の被告は、車に異常が原因だと主張している。

少なくとも、仮に間違えてアクセルを踏んでいたとしても、人殺し呼ばわりすべきではない。

単純に2名の方が亡くなられた結果だけを見て、殺人事件の量刑と比較して軽すぎるというようなコメントを見かけるが、人を殺すつもりで死なせるのと、うっかりミスに人命を巻き込んでしまったのは全く違うのだ。

何か事件があって、その加害者が気に入らない人だとすぐに「死刑にすべきだ!」と叫ぶ人々には本当に嫌気がさす。


もちろん、もし彼が自分がブレーキとアクセルを踏み間違えたかもしれないと認識しているのに、いたずらに裁判を長引かせるために車体の異常を主張しているのだとしたら許されることではない。

しかし、実際彼は衝突前に何らかのペダルを踏んでいて、彼は本気でそれをブレーキペダルだと思っていたはずだ。


本気でブレーキペダルを踏んでいたつもりの人に、後から周りの人が「お前が踏んでいたのはアクセルペダルだ。」と言ったところで、彼にとってはブレーキペダルだったのだ。

本気でブレーキペダルだったと思っている人が、不本意ながら罪を認めるか、自分を信じて争うかは本人の自由だ。


三菱自動車は車輪脱落事故の後も車体の欠陥を隠ぺいし、結果的には三菱自動車の品質保証責任者と、担当部門のリーダーに業務上過失致死傷罪が確定した。

そのようなことが実際にあったのだから、我々も少なくとも判決が確定するまでは、外から死刑死刑と叫ぶべきではない。


もちろん、結果的に人が亡くなっているのだから、被害者遺族の感情もくむべきであり、本当に被告が罪を犯していたのなら、十分に悔い償ってほしい。

しかし、すべての責任を被告個人に背負わせるべきではない。

今回の事件は、運転を続けるかが老人の自由意志にゆだねられていたり、ペダルを踏み間違えると人が死ぬ乗り物を老人が運転できる現状を容認している我々にも責任がある。

アクセルとブレーキを踏み間違える事件を防ぐためには、踏み間違えるような人から運転の自由を奪うか、運転者のミスを補う安全装置の設置を義務付けるなどの法規制が必要であり、踏み間違えて人を死なせた老人をいくら反省させても、刑務所に入れたり死刑にしても何も変わらないのは皆分かっているはずだ。


闇雲に死刑死刑さわぐのではなく、法律やその運用の現状を知って、その問題点を考えて、どのような改善が必要かを真剣に考えなければ何も変わらない。

人々にはただ騒ぐより、社会の在り方について考えるきっかけにしてもらえるよう期待したい。

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