シチズンの前身「尚工舎」について①

2020-10-18

コラム

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シチズン時計株式会社は1930年に設立されたとされるが、その出発点は山崎亀吉によって1918年に設立された「尚工舎時計研究所」とされている。尚工舎より深く知りたいと思い尚工舎界隈について調べた。

不明な点も多くあるため、ご存じの方はコメントかご連絡願いたい。


簡単に調べた範囲で分かったことをまとめると、

・尚工舎時計研究所の設立以前から「尚工舎」という工場があり、

・尚工舎の徒弟を対象とした教育施設「尚工舎徒弟補習教育會」が1910年に設立されていた。

・1926年には「尚工舎時計工業学校」を東京府豊多摩郡戸塚町に設立する認可がなされ、

・1930年に名称を「日本時計工業学校」に変更し、位置を東京府荏原郡世田谷町に変更する認可がなされ、

・1942年には当時東京府東京市大森区田園調布に所在した日本時計工業学校は何らかの問題により私立学校令十条に基づいて閉鎖を命じられた。


まず、「尚工舎」と「尚工舎徒弟補習教育會」について書かれた資料についてだが、1919年に発行された「会社工場等ニ於ケル実業補習教育施設ノ情況」という書物で、当時工場等が少年労働者向けに設置していた社内の教育機関について記されている。



尚工舎徒弟補習教育會は尋常小学校を卒業した、尚工舎徒弟と呼ばれる少年に対して、業務に必要な学術を授けていたようだ。

場所は 本郷区駒込富士前町44番地尚工舎内 とある。

当時、徒弟学校令という法律に基づいて現在でいう工業学校のようなものがあったことは把握しているが、この教育會がそれに該当するのかはわからない。

週6で6時間の授業を年間250日行っていた様だから、現在の中学校の標準年間授業時間である980時間の1.5倍以上の1500時間の授業があったことになり、仮に労働が無かったとしても相当に過酷だっただろう。現在のシチズン時計株式会社の年間所定労働時間は約1800時間だから、それに迫るものがある。


尚工舎が何かについては書かれていないが、

「訓育の方法  工場主及・・・」とあるので、何らかの工場だったのだろう。


当時の制度を理解しないと、この学校がどのような学校だったのかをこの資料から読み解くことは難しいため、勉強しようと思う。




次に、1924年に発行された「職工ノ福利増進施設概要. 大正12年(1923年)7月1日現在」という書物に、「尚工舎」の福利厚生が記されている。




教育施設の欄に、「子弟教育 寄宿職工32名あり、どれも尋常小学校卒業程度の者を採用し工場内において舎監を附して普通学に享受をなす」とある。
これが前述の「尚工舎徒弟補習教育會」のことだろうと推測できる。

修養施設の欄に「寄宿舎に於ける訓育施設 約中学一二年程度の学科を行う ただし本月中より都合により中止す」とある。
高等教育をこの時期から中止してしまったようだ。

とにかく、尚工舎の徒弟を対象に、工場の仕事とは別に、普通の学校で教えるような教育を行っていた様である。

1923年の時点では1918年に設立されたとされる「尚工舎時計研究所」があったはずで、一部のホームページでは「尚工舎時計学校」なる学校が1921年に設立されたとあるが、それらの記載は特にない。
他の資料を探したい。


次に「尚工舎時計工業学校」について「シチズンの前身「尚工舎」について②」に記す

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