「 シチズン時計の前身「尚工舎」について①」でシチズン時計株式会社の前身とされる「尚工舎時計学校」に関係しそうな「尚工舎」と「尚工舎徒弟補習教育會」について調べたことを記した。
今までの資料から、シチズン時計がその始まりとしている1918年「尚工舎時計研究所」設立の以前から「尚工舎」という工場があり、そこで働く少年たちに教育を授ける「尚工舎徒弟補習教育會」という施設があったことが分かった。
シチズンの歴史について書かれたホームページ等では1921年に「尚工舎時計学校」が設立され、シチズン時計株式会社は1930年5月に「尚工舎」を母体として設立されたとある。
現状調べた範囲では、「尚工舎時計研究所」や「尚工舎時計学校」については見つからなかったが、尚工舎時計学校に関係しそうな「尚工舎時計工業学校」が1926年に設立認可されたことが分かった。
シチズンのホームページでは「尚工舎時計学校」と書かれているが、同じ山崎亀吉に創業された田中貴金属のホームページでは「尚工舎時計工業学校」とあり、なぜ二社が異なる校名を記載しているのか興味深い。
とにかく、1926年「尚工舎時計工業学校」の設立認可が記された官報を見る。
時代背景的に戦争関係で閉鎖されたのかと勝手に思ったが、私立学校令10条について調べると以下のような条文だったようだ。
第十条 左ノ場合ニ於テハ監督官庁ハ私立学校ノ閉鎖ヲ命スルコトヲ得
一法令ノ規定ニ違反シタルトキ
二安寧秩序ヲ棄乱シ又ハ風俗ヲ壊乱スルノ虞アルトキ
三六箇月以上規定ノ授業ヲ為ササルトキ
四第九条ニ依リ監督官庁ノ為セル命令ニ違反シタルトキ
つまり①命令違反、②安寧秩序を乱す、③6か月以上授業をしていなかった、④監督官庁の命令に背いた のいずれかに該当して閉鎖命令が出たのだ。
何があったのだろう。
特に結論も何もないが、ここまで「尚工舎」まわりの資料を探し、あれこれ書いた。
どなたかのご参考になればいいと思う。
個人的には、シチズンの出発点が「尚工舎時計研究所」とされているが、尚工舎時計研究所の出発点が「尚工舎」にあるように思われるので、尚工舎についてより掘り下げて調べたい。
また、当時の少年労働の一部を覗き見て興味を抱いたため、当時の少年労働について調べてみたいと思う。
現在の感覚から言えば、大東亜戦争で少年らが軍事工場で働いていたことがおかしなことに感じられるが、当時の感覚から言えば普通のことだったのではないかと感じた。
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